「論説紙芝居国語」とは?
本物の国語力は【語彙力】と【教養】がつくる。
理解し、思考し、表現する。
「見たことも聞いたこともない事柄について書かれた文章を読んで、内容を説明しなさい」
これが大人にとっても難しいことは、簡単に想像していただけるかと思います。
けれど、こうだったらどうでしょうか。
「初めて読むけれども、これまでに何度か見聞きして
慣れ親しんだ事柄について書かれた文章を読んで、内容を説明しなさい」
ぐっと難易度が下がって感じるのではないでしょうか? 実はこれと同じで、
本物の国語力を持つ子どもは、文章を読む前から既に理解するための下地を備えているのです。
この違いが明確な「読解力」、「思考力」、そして「表現力」の差として現われてきます。
「お金」について何も知らないまま、「世の中のお金の動き」について書かれた文章を
理解できるでしょうか。「イヌ」について全く知らずに、「人間とイヌの関係の歴史」は
分かるものでしょうか。
国語力のある子どもたちは「お金」や「イヌ」について蓄えた知識があるからこそ、
最後の小さな一歩を加えるだけで文章の本意に辿り着くのです。
これが【語彙力】。言葉を知っているということです。
とはいえ勿論、ただ言葉を知っているだけでは語彙力とは呼べません。
例えば同じ「人間」という言葉を使っても、生物学と社会学では「人間」を扱うアプローチが
全く違うように、言葉の意味もモノの見方によって変わるのです。
辞書的に言葉だけを覚えても、国語力はつきません。
生物学には生物学の、社会学には社会学のモノの見方がある。
こうした違いまでを含めて言葉を知り、様々な考え方に親しんでいること。
これが【教養】。言葉の使い方を知っているということなのです。
「ピグマリオン論説紙芝居国語」は多様なテーマと良質な文章で、
何よりもまずこの【語彙力】と【教養】を育てます。
だから、本物の国語力が身につくのです。
現代における国語力・2
モノの見方、考え方を学ぶ
文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」は、【教養】を国語力の
基礎として明確に位置づけていました。しかし、残念ながらこの答申は【教養】の定義を
欠いており、様々なモノの見方、考え方を身につけ言葉をつかいこなす能力こそ【教養】
の現れであるという点を見逃しています。
他方、「もの見方、考え方」という表現は10年以上も前から『学習指導要領』に繰り返し
登場するものの、こちらも【教養】や「国語力」との結びつきが明確ではありません。
各科目毎のものの見方、考え方を身につけるとは言及されていても、それこそ「国語力」
の基盤である、という視点がないのです。従って、「国語力」があらゆる学びの基礎だと
いう認識も十分には示されないままでした。
「国語力」とは、「国語的なモノの見方、考え方」を身につけることで向上するものでは
ありません。多種多様なモノの見方、考え方に親しみ、それらを自在につかいこなすこと
で、初めて何かを理解し、考え、表現することができるのです。
ここから、「何かを学ぶ力」と「国語力」は同じものだということも見えてきます。
学べば学ぶほど、更なる学びへと繋がっていく。「ピグマリオン論説紙芝居国語」は、
その最初の一歩、理想的なスタートを子どもたちにプレゼントします。